雑記 : 36

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・禹歩には複数の形式のものが存在しており、地戸から天門に到達する歩みには様々な意味が隠されている。変わった形式の禹歩には、例えば天地交泰禹歩法があるが、この禹歩で用いる丁字歩は中国・瑶族の祭祀でも見い出せる。尚、上清黄書過度儀(正統道藏)の記述では陽を縦形、陰を横形で表現している。

雑記 : 35

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・太上助國救民總真秘要(正統道藏)卷八の禹歩斗綱訣には「夫禹歩者 法乎造化之象 日月運度之行也 一月三交 一交三旬 三旬者 三盈數也 一時三交 三交者 九旬也 是以一歩一交 一交三跡 三歩九跡 象一時也 併足象天交也 先舉左足者 春秋之歩也 先舉右足者 冬夏之歩也 春秋之孟者 陽辰也 冬夏之孟者 陰辰也 故生殺制御用春秋收藏積聚用冬夏也 又云 男當用春秋 女用冬夏也」との記述がある。簡単に意訳するならば、日は一旬毎に新しくなり、三旬毎に月と交わるとされ、四季の一季毎に日月は三度交わり、日は九度生まれ変わるとされ、禹歩の1つである三歩九跡は、これら日月の移り変わりを象徴するものである事が述べられている。禹歩といっても複数の形式のものが存在しており、そこには様々な意味が隠されている。

雑記 : 34

三重県志摩地方(現・鳥羽市志摩市)で古くからある五芒星状の星形印と四縦五横の格子状印と同型のモノが8世紀前半から9世紀前半の遺跡から墨書土器として出土。祭儀に使用されたと考えられる墨書土器は、神祇祭祀・仏教信仰・道教陰陽道系の信仰に関わるものと多様との事。加えて、陰陽師が置かれていた東北地方の国府においても同様のものが出土している。なかなか興味深い(参考「墨書土器村落祭祀論序説」日本考古学協会「平安初頭の南出羽における律令信仰の様相」公益財団法人山形県埋蔵文化財センター「古代城柵と蝦夷(払田柵跡とその時代)」 秋田県埋蔵文化財センター ) 

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雑記 : 33

・「令既具未布 恐民之不信己 乃立三丈之木於國都市南門募民 有能徙置北門者予十金 民怪之 莫敢徙」(令既に具われども未だ布しかず、民の己を信ぜざらんことを恐るればなり。乃ち三丈の木を国都の市の南門に立て民を募り、能く徙して北門に置く者有らば十金を予えんと。民之を怪しみ敢て徙す莫し。) 「復曰 能徙者予五十金 有一人徙之 輒予五十金 以明不欺 卒下令」(復た曰わく、能く徙す者には五十金を予あたえんと。一人之を徙す有り。輒ち五十金を予え、以て欺かざるを明らかにす。卒に令を下す。 ※中国、秦の商鞅は法令を準備して整えたが、民から信頼されているのだろうかと恐れて、そのまま布告せずにいた。そこで、商鞅は「三丈の木を都の南門に立て、この木をに北門に移した者には十金を与える」と民に募ってみたが、民は怪しんで敢えて移す事はなかった。それで、再び商鞅は「実行した者には五十金を与える」と民に募ったところ、今度は一人が成し遂げた。商鞅は約束を守って、五十金を与えて民を欺かす事は無いのだと知らしめて、ついに法令を布告する事にした。(史記・商君列伝より)  何事も大切なのは「信頼」である。

雑記 : 32

・「三十輻共一轂 當其無有車之用 挻埴以爲器 當其無有器之用 鑿戸牖以爲室 當其無有室之用 故有之以爲利無之以爲用」(老子「道徳経」道経・第11章) 三十の輻は一轂を共にす。其の無に当たりて車の用あり。埴を埏して以て器を為る。其の無に当たりて器の用あり。戸牖を鑿て以て室を為る。其の無に当たりて室の用有り。故に有の以て利を為すは無の以て用を為せばなり。( 30本の輻は1つの轂に集まって車輪を形成している。轂に何もない空間があるから、車輪としての役割を果たす。 粘土を捏ねて器を作る。器の中に何もない空間があるから、器としての役割を果たす。戸や窓を貫いて部屋を作る。 部屋の中に何もない空間があるから、部屋としての役割を果たす。 故に、形ある物が価値があるのは、形のない物が役割を果たしているからである。)